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2016年6月24日金曜日

高麗神社

昨晩(6/23)の事前講演に続いて、今日の昼に、埼玉県日高市にある「高麗神社」を訪問した。四谷の韓国文化院主催の今回のイベント「道端の人文学」に応募して、このチャンスを得たわけだ。参加者は、同院前から2台のバスに分乗して現地に向かった。この訪問は、明日も同様に行なわれる。

高麗神社は、以前晴れた日に何度か訪れたことがあるが、今回は小雨に煙る木々の葉がしっとりと濡れ、静かに落ち着いた風情だった。高麗神社の宮司高麗文康氏(高麗郡初代郡司「若光」から60代目の子孫)は、高麗神社の歴史とそれに伴う高麗郡建郡1300年記念事業のいきさつについて(父君の遺志にも触れて)軽妙に説明された。

合わせて、昨晩の続きとして、高橋一夫氏(高麗浪漫学会会長)から、高麗神社の環境について次のようなヒントに富む話題を語られた。① 神社には自然に溶け込む神道のスタイルがあり、例えば葉の落ちることのない照葉樹林の中に置かれる。初期の神社は社殿があるわけではなかった。② 寺には、敷地が広く平らな規模の大きい官寺と、山中・山裾におかれる氏寺がある。
また、同神社に隣接する勝楽寺を巡ったとき、③ この寺に、若光の墓とされる「高麗王廟」があるが、律令制の当時、(高齢な)若光はもしかしたら都で亡くなっていたかもしれない。また、④ 高麗郡の役所跡について、遺跡出土が不明だが(太平洋戦争前に平地のため飛行場が設けられたほど広大な)高萩地区が考えられる(⇒ 遺跡が見つからない理由は、戦後に開拓が入り、礎石など掘り起こしたからかもしれない)、とのこと

史跡の訪問と詳細な解説を一度にかなえる幸運な機会に廻りあえたのは幸いだった。いろいろサポートをくださった韓国文化院スタッフの方々に感謝します。