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2016年5月19日木曜日

イ・ソンヒの仏教的な背景

イ・ソンヒには、音楽的才能とは別に特別な宗教観、道徳観があるように見える。そのことは、彼女の自伝に触れられている家庭環境からうかがい知ることができる。

(本ブログ関連:”「イ・ソンヒの『スター・ストーリー』」”)

宗教観、道徳観の源は、父親が所属した仏教と大きく関係があるようだ。合わせて、韓国における仏教宗団の問題点、相克も知ることになる。彼女の生育に大きな影響と意味を持ったことだろう。

特に韓国仏教界で争点となった妻帯問題に絡めて、イ・ソンヒの父が属した宗団「太古宗」を取りあげる例が多い。イ・ソンヒの自伝では、「一乗宗」の名を挙げているが。正直いまだに、どちらの宗団に属したのか確証となる情報を得ていない。今回は太古宗を中心にしたものである。

(本ブログ関連:”太古宗”、”一乗宗”)

韓国仏教では、原則妻帯を否定した宗派「曹渓宗」が圧倒的主流である。それに対して、イ・ソンヒの父が、妻帯を認める宗派「太古宗」に属しているることから記事にされるようだ。

芸能記事に<再照明>といって、芸能人の過去記事や話題をアレンジ、詳細化して再掲することがある。イ・ソンヒの場合も度々で、ある意味プライバシーに深入りしたものが多い。コリアデイリーの記事、「イ・ソンヒの『出生の秘密』 僧侶にまつわる何事か分かってみれば『ビックリ』」(5/14、チョン・ウンチェ記者])は、妻帯問題を片手に記したものといえる。

(本ブログ関連:”韓国仏教”)

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(韓国仏教)太古宗(태고종)僧侶にまつわる、歌手イ・ソンヒの父の生(=人生)の秘密、釈迦生誕日にうわさ

14日、ネチズンの間では、釈迦生誕日に話題が集まる中、我が国仏教宗団の二番目に大きな太古宗僧侶出身である歌手イ・ソンヒの父の人生が注目をあびている。

14日、注目をあびる太古宗は、韓国仏教の27ほどある宗団の一つだ。高麗時代(末期)、太古普愚国師を宗祖としながら、釈迦世尊の自覚覚他・覚行円満の根本教理を敬って実践し、太古普愚国師の宗風を宣揚して、見性成仏・伝法度生することを宗旨としている。

<写真> イ・ソンヒの学校卒業時の両親との家族写真

このような太古宗とイ・ソンヒにまつわる人生史は、コリアデイリーとのインタビューで、「祖父が唱をされたが、私もその影響が大きいようだ」とし、「父も声が良かったです。妻帯僧で祈祷をたくさんした」と、父が僧侶だった事実をありのままに明らかにして話題になったりもした。

これに対して、イ・ソンヒは僧侶だった父のために幼年時代を林の中で暮らした。学校は都心で通って、放課後には外部と遮断された山寺で暮らした当時、とても大きい寺なので、数多くの僧侶と一緒に暮らしたしその中にあって、常に僧侶が仏教をそらんずるとき思わず真似たりしたと幼い人生を回想した。

このような父の人生により、イ・ソンヒの生(=人生)は、仏教と密接な関連があり、太古宗僧侶だった父の意により一時ソウル市(議会)議員になり、政治にも関与したりもした。

一方、イ・ソンヒの父が僧侶であった太古宗は、解放後<全国僧侶大会>の決議により、「朝鮮仏教曹渓宗総本寺太古寺法」と曹渓宗名を廃止して、「朝鮮仏教」という単一宗団でスタートしたが、3大教正(宗正)の宋曼庵によって「曹渓宗」に宗名が還元された。

1954年5月、大統領李承晩が家庭を持って生きる僧はみな寺刹から退けという特別談話以後、曹渓宗は独身を主張する勢力と僧侶の結婚を許容する勢力に二分されたが、5.16革命(朴正熙による軍事クーデター)後、仏教再建委員会によって、1962年、「大韓仏教曹渓宗」を宗名として統合宗団が成立した。

しかし、中央宗会を構成する双方の意見対立で、1970年1月、朴大輪を宗正にして統合宗団から分離して太古宗宗団を発足し、韓国仏教曹渓宗と統合して「韓国仏教太古宗」と改称し今日に至っている。

太古宗は寺刹の個人所有認定と僧侶の結婚問題を自律に任せていて、出家をしなくても寺刹を維持運営できる裁可交易者制度である校任(교임)制度を置いている。
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