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2016年4月4日月曜日

桜、木瓜(ぼけ)の花

近在の「桜」は満開して、おぼろに周りを花で明らめる<花明かり>する。「万葉集」(7C後半~8C後半《奈良時代末》編纂)に、こんな歌がある。実は、昨日(4/3)、市民講座があって、「万葉集」に採りあげられた桜にかかわる歌、28首ほど紹介された。そのなかで気に入った、素直な歌だ。

    見渡せば 春日の野辺に 霞(かすみ)立ち
          咲きにほへるは 桜花かも
                           (作者不詳、巻10 1872)

遠く、春日野の原に咲く「桜」花が、霞の中に浮かぶ情景を歌ったものだ。自己流に解釈すると、春日山の山裾に咲く桜の花が、日の傾むく夕べに、遠くに霞むようにぼんやりと見える。それでも花の香りは漂う・・・といいたいが、当時の「桜」は「山桜」が中心で、自然に(自生して)咲くものをいうとのこと(cf. 貴族が山桜を移植した「屋戸の桜」というものもあるが)。今のように、植樹して爛漫に咲き誇る「染井吉野」(江戸後期の交配)の桜花ではないという。自己流解釈は、ことほど都合よいもの。昨日の講師の方は、字のままに読むようにとのことだった。

ところで、最近、気になる花がある。「木瓜(ボケ)」の花だ。一瞬、梅に似た感じがするが、花弁が囲むように湾曲している。なにより、花の色合いがはっきりしている。白と朱である。不思議なことに、この二つの色を一つの木に咲かすものがある。それも枝の上で隣り合うようにして(花弁にも!白と朱が混在するものまである)。もしかしたら、色の違いは、大きな意味を持っていないのかもしれない。

「ボケ」の音には別の意味もある。「ボケ」すなわち、① 「呆(ほう)け」者といった間抜けであり、② 最近気になる、「惚(ぼ)け」である。前者も芳しくないが、後者はもっと空恐ろしい、なりたくないものだ。「木瓜(ボケ)」の花を見るとき、これらの「ボケ」の音がかぶさってきて、花の美しさが飛んでしまう気がする。

よく見れば、民家の生垣に白と朱を一木に咲かす「木瓜」の木がある。目立つ色具合なのに、今まで気にならなかったのは、数が少ないからだろうか、それとも色の按配が余りにこれ見よがし過ぎるからだろうか。