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2015年5月25日月曜日

久し振りの強い地震

窓がざわついて突風でも吹いたかと思った。グラグラと揺れが始まり、次第に強まる地震に、不思議と落ち着いていた。あの日以来なんとなく震度がわかったような気がして、妙な気がする。大丈夫だろうという予感すらしていた。

とはいえ、すぐにテレビをつけた。各局はテロップで地震速報した。こんなとき、やっぱりNHKに限る、すぐに詳しく放送が始まった。

気象庁の、地震速報は次の通り。当地の体感は、震度3といったところかと思った通り・・・下記速報にある<各地の震度>と同じだった。だから、どうということはないのだが。


平成27年05月25日14時33分 気象庁発表
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25日14時28分頃地震がありました。
震源地は埼玉県北部(北緯36.1度、東経139.6度)で、
震源の深さは約50km、地震の規模(マグニチュード)は5.6と推定されます。
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「平成27年5月25日14時28分頃の埼玉県北部の地震について」 気象庁発表
http://www.jma.go.jp/jma/press/1505/25a/kaisetsu201505251545.pdf

(資料)イ・ソンヒの歌が国境をまたいで流れたこと

女性の声で相手側(兵士)に対し、戦意を萎えさせる心理戦がある。例えば、太平洋戦争中、ラジオから流れた東京ローズはよく知られている。当時、ドイツでも、Axis Sallyと呼ばれる女性がプロパガンダ放送されたという。

現在の朝鮮半島の南北対立は、朝鮮戦争停戦の延長であり、さまざまな心理戦が行なわれていると、中央日報の記事、「韓国、対北ビラにラーメン・ストッキング…北は『DMZ女性軍入浴』心理戦(1)(2)」(2014年10月14日)は伝えている。(抜粋)

その中で、イ・ソンヒが歌謡界に出るきっかけになった曲「Jへ」(1984年)を、休戦ラインをまたいで拡声器を使って南から北側へ流したと語られている。しかも、「イ・ソンヒは長期にわたり心理戦要員が選ぶベスト歌手だった」。裏面史である。

(本ブログ関連:”Jへ”、”ソウル市議会”)

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 ・「ビラ(bill)」は知っている。70年近い分断の時期、南北が休戦ラインを挟んでどんなことをしてきたのか。今は「伝単」という高尚な名前で変身したビラには、分断と対決の歴史がそのまま反映されている。

 ・心理戦は放送や手紙など、さまざまな手段を動員する。四面楚歌という故事成語も結局は漢の劉邦の軍に包囲された楚の項羽軍に故郷の歌を聴かせて投降させたという古典的な心理戦術といえる。

・休戦ラインの拡声器で南北は、数キロ離れた場所の兵士の耳が痛くなるほど出力競争をした。北朝鮮は帰順誘導放送を、韓国は歌謡で対抗する局面だった。主に女性歌手の曲を流したが、84年に「Jへ」でデビューしたイ・ソンヒは長期にわたり心理戦要員が選ぶベスト歌手だった
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