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2015年4月7日火曜日

(雑談) デジタルなこと

デジタルについていけない。ネット上での人間関係がよく分からないためfacebookに全くノータッチだし、twitterには登録したものの囁(ささや)くこともないのでそのままだ。また、街に出てネットを覗くこともないので、スマフォもタブレットといったツールの必要性も感じない。どうしてもといえば、つまり時代に合わせるためなら、タブレットくらいだろうけど、で?何を見るのということになる。

外での通信手段はもっぱらガラケー(携帯端末)で、これで充分と思っている。そういえば、公衆電話を利用したことが最近ない。知人には、今も頑としてガラケーすら持とうとしない御仁もいるけれど。

タブレットを小学生に配る時代だそうだ。それを聞いて思い出すのは、学校で視聴覚機器とかCAIといったツールだ。いつも新しい指導方法を模索する教育者がいる。

昔、日立のBASICマスターというマイコン(=パソコン)で、カセットテープの音声とデータを同期してディスプレイを通じて学習する教育ソフトを作ったことがある。いわゆる機能試作的なものだ。感じたことがあった。それは、目の前に入ってくるまではデジタルだが、それが記憶となり定着するのは人間の頭の中の問題ということだ。

つまり、知識として実となるのは永遠の課題ということだろう。

近頃、「自炊」といって、既存の紙書籍を裁断し、スキャナーにかけpdf化する、電子書籍作りのようなことがある。Youtubeでそんな作業を紹介しているのを見ると、思い出すことがある。必要な書籍を買って「積んどく」だ。購入すれば安心というわけだ。あるいは、必要な資料を、コピー(ゼロックスすると言ったものだが)しておくと、それだけで知識化した気になる。

自炊には、積んどくやコピーに似たところがある。それより、私には書籍が裁断機にかけられる光景が耐えられない。