このごろ陽射しに、春の兆しして和らぐ。けれど陽が傾けば、まだ冬の寒さが残っているのに気付く。そんなとき、唱歌「早春賦」(作詞吉丸一昌、作曲中田章、1913年)にある、「春は名のみの」という詞を実感する。
(本ブログ関連:”早春賦”)
この歌を,「唱歌・童謡ものがたり」(読売新聞、岩波現代文庫)は最初に採り上げている。作詞した吉丸一昌の孫が、祖父の顕彰に奔走したこと、歌と縁の深い長野の安曇野で、冷えた若者の心を支えようとする女性の姿など描かれている。
何よりも、43歳で早逝した吉丸一昌の教育者としての生き方に志の高さを知る。苦学の経験から、東京府立三中の教諭時代、私財を投じて夜間学校を設立したという。頭の下がる話しだ。
彼の故郷、大分の臼杵市には「吉丸一昌記念館」がある。昔、大分に出張した帰り、臼杵にある磨崖仏の地を訪れたことがあったのを思い出した。国宝がこんなところにと思うほど、ひっそりとした長閑な田舎だった。
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