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2015年1月7日水曜日

(資料)イ・ソンヒ「1集(REMASTERING ALBUM)」の紹介

イ・ソンヒが1984年の「江辺歌謡祭」に登場して翌年発表した第1集アルバム「あ! 昔よ」(1985年)のリマスター版(JCDS0824)が、今月発売されることを知った。先週、CDショップで確認したところ未だ扱っていないといわれたけれど・・・。

(本ブログ関連:”イ・ソンヒ 1集(Lee Sun Hee Remastered)”)

ネットの「シンナラ・レコード」に掲載されている、大衆音楽評論家・ジャーナリストのパク・ソンソによる「アルバム紹介」は、1集発売当時の様子を次のように記している。
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イ・ソンヒ 1集Remastered、アルバム

韓国「最高のディーバ(歌姫)」、イ・ソンヒ Story
デビュー30周年を迎えるイ・ソンヒのデビュー初のソロアルバム「あ! 昔よ」

・デビュー30周年を迎える、今もまだ「少女」のような姿に清く透明な音色、そして一層深くなった感性・・・イ・ソンヒは、ますます関心が高まる不思議な魅力の持ち主だ。現在、韓国で活動する「最高のディーバ」、イ・ソンヒ初のソロアルバムのリマスタリング(Remastering)作業は、だから意味がより一層大きい。

・メディアに近況が全く知らされなかった去る2009年*、「助け合い公演」が繰り広げられていた汝矣島のKBSホール、予告なしに舞台にイ・ソンヒがサプライズ出演した。アメリカからまさに帰ってきて初めて立つ舞台と言ったし、非公式に立つ舞台だけに、本格的に活動を始める時、再び正式にごあいさつするとも言った。この舞台で、彼女が歌った歌は「あ! 昔よ」であった。少し短いコメントも(次のように)付け加えた。

(*)イ・ソンヒの第2の人生の始まりにおける一つのできごとである。

・「私が初めてデビューして、この歌を歌う時、ネクタイ部隊(中堅サラリーマン)のおじさんファンたちが一言一言(ぶうぶつ)いいましたよ。小さいのがもう『昔よ』を歌うのかと・・・その言葉の意味を、そしてこの歌の真の意味を今になって少しずつ分かる気がします。時間が過ぎれば過ぎるほど、私にはより一層大切に感じられる歌です」と。

・今でも7080世代に思い出という名で広く知られるMBC-FM主催「江辺歌謡祭」が論ざれるたび、一番最初に登場する名前がイ・ソンヒだ。「江辺歌謡祭」が輩出した最高のスター、そして彼女が歌った「Jへ」は最高の名曲として挙げられる。

(本ブログ関連:”7080世代”、”江辺歌謡祭”、”Jへ”)

・1984年、江辺歌謡祭の舞台に初めて立ったイ・ソンヒの姿を、まだはっきりと記憶している人々が多いだろう。それだけ印象的だった。混成デュエット(「4幕5場」)であるだけに、スカートを着るのが良いという放送局側の勧めにより即席で借りて着た、からきし大きな紺色のスカート姿の、腕白小僧のようなパンク頭のわきまえぬ姿・・・しかし、その小さい体躯から吹き出る澄んだパワフルな歌唱力は、皆を驚かせるに十分だった。結局、大賞を手にした「Jへ」は、翌日から人気集めを始めたし、この歌を歌った主人公には各種マスコミのフラッシュ洗礼が集中した。

・しかし、いざ注目を浴びたのは混成デュエットの「4幕5場」でなく、イ・ソンヒであった。「特に注目を浴びるほどのルックスではないので、さらに注目を浴びた」この手つかずの地味な姿は、かえって誰にも親近感を与え、若者たちは誰も彼も「J」になりたいと自らた請(こ)うただけに「Jへ ブーム」はすごかった。

(本ブログ関連:”イ・ソンヒの「Jへ」”)

・「Jへ」より爆発的な歌唱力を生き生きと見せた歌が、まさにこの初ソロアルバムのタイトル曲「あ! 昔よ」だ。今は過ぎ去った日を回顧する代名詞である単語として位置づけられた「あ!昔よ」は発表されるやいなや、KBS「歌謡トップ10ゴールデン・カップ(5週連続1位)」を占めており、収録曲中の「葛藤」、「少女の祈り」、「私は恋に落ちました」など、何と七曲がチャートに同時進入する話題を集めた。

・トレードマークである丸いメガネとカット頭(ヘヤースタイル)が女子学生の間で大流行したほど、「イ・ソンヒ シンドローム」はすごかった。

・今は女性的にスタイルが変わって、「万人の恋人」として愛されているけれど、デビュー当時は中性的なボーイッシュな魅力と歌唱力で、女性歌手として珍しくハイティーン雑誌とレコードに実物サイズのブロマイドを入れて制作されるほど愛される「下敷スター」*であり、「姉さん部隊」(女性ファン)の元祖であった。

(*)ラミネート加工の写真入りの下敷きで、80年代、元祖下敷スターはイ・ミヨンだそうで・・・「80年代を最後に徐々に下敷きが消えた。下敷きは、単に学用品ではなく、スターといつも会う場所だった」(TVdaily、オ・スジョン記者)

・当時、ある雑誌との「100問100答(100문100답)」で打ち明けた「Jへ」の誕生背景も話題になった。作曲家イ・セゴン(李世建)の楽譜「Jへ」が、ある作曲家事務所*でゴミ箱に捨てられるのを見てその中ですくい出したというエピソードがそれ. 結果的に「捨てられた歌」を捜し出して「宝物」に作ったわけだ。

(*)チャン・ウクチョ音楽室、”イニシャルJ

・「あ! 昔よ」も他の歌手によって先に発表されたが、埋れていた歌であった。歌手チン・ピレによって1年余り前の83年5月に発表された当時、歌の題名は「その時と今」(パク・ゴンホ作詞、ソン・ジュホ作曲)」。この歌もまた、イ・ソンヒによって始めて光を見た歌だ。このようなエピソードは単に偶然な幸運でなく、多少運命的だと見なされる。はじめて歌が主人に会ったことと解釈される部分でもある*。

(*)韓国民歌ともいえるイ・ソンヒの「美しい江山」(4集、1988年所収)も同様なケースだろう。

・逆境は彼女をより一層輝かせる。「最高の最高のディーバ」という賛辞を受けて、韓国を代表する歌手として、そしてシンガーソングライターに変身して、第2の全盛期を謳歌しているイ・ソンヒのきらめく力作、この初のソロアルバムが吹き込み当時の原音そのままリマスタリングされたというのは非常に喜ばしいことだ。宝石以上の貴重な価値を持った原石をそっくり鑑賞することができるからである。 あたかも今歌うために、当時吹き込んでおいたようなこのアルバムは、そのためより多くの人々に感動させるだろう。
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(付記)
今日1月7日は、「七草の節句」ということで、無病息災を祈って寺院で七草粥をふるまう行事があるようだ。では、自宅で食べるにはどうすればいいのか、食材として売られているだろうか。はたまた、七草粥を食事できる店があるだろうか。結局、今年も無縁に終わってしまいそうだけど。