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2014年7月11日金曜日

直線

ちょっと美術的なものに関心を持ち始めた頃、手軽に見られる文庫本サイズで、カラーページの豊富な書籍が登場した。図鑑の名門、保育社の「カラーブックス」シリーズである。一冊にカラーの写真や絵などが満載なのに驚嘆したものだ。とはいえ、見開きカラーページと見開き白黒ページが交互になるよう構成されていた。

早速手にしたのは、シリーズ第2番目の「桂離宮」(著和田邦平、1962年)だった。巻末の解説をじっくり読むより、写真を何度も繰り返し見ては、京都にある桂離宮の建物や庭園の造りをあれこれ空想した。一度は行ってみたいという思いはあったが、見学に必要な手続きもあり、当時一人で行けるわけでもなかったので、この本で満足していた。

写真で静謐な桂離宮のたたずまいを想像するうちに、建築物の美しさが自然の姿と同じでないことに、当たり前ながら、気付いた。むしろ自然にはめったにない直線を主体にしているのだと。
考えてみれば、ほっと落ち着く日本間を見渡せば、柱や窓枠や畳も、廊下板もすべて直線でできている。単に築材として、建築に容易だからとか、構造上の強度だからといった説明だけではつかないような気がする。かつて私たちが、森の奥、樹上に棲んでいた頃の、枝々のカーブや葉陰の重なり具合を、今の生活空間に取り置くことを避けてしまったようだ。

(もちろん流体を意識した構造物では、曲面が重要視されるけれど。)

庭園の木立や池の自然の姿を、室内から長方形に囲まれた枠の中に借景する。入れ子のように複雑化した景観と額縁のような関係がそこにある。実際、直線は自然に稀にしか存在しないから、風景をより際立たせるのかも知れない。屏風や掛軸が、そこにおさまる絵画をダイナミックにさせるように。

鉱物結晶に魅入られるのも、そうした人間の心の奥にあるものが感応しているからかもしれない。
時間をかけて地中に生まれた、真っ直ぐな稜線で作られた、水晶の6面柱状の結晶に驚き、柘榴石の十二面体や二十四面体の固まりに、理解を超えた不思議さを感じる。人は、どうやら直線が好きなような気がしてならない。