むかし、結核は死の病だった。確実に蝕み最期を迎える。しかも、それは早い。母が子ども時代、結核患者の出た家の前を通るとき、息を止めて走り過ぎたという。誰もが、そんな恐怖を共有した。
竹久夢二の描く女性像に、はかなさと寂しさを残す結核患者のイメージがある。当時、小説や絵画を通して、若くして夢を失う姿を身近に感じられたのだろう。今はその実感がない。ちなみに、竹久夢二は結核を患って、一年も満たずに亡くなっている。
また、祖母が幼い頃に見たという、お遍路さんの中には、(他の重病だが)体が確実に蝕まれながら死に場所を探すひとたちがいたという。お遍路の行為に、生と死の境を旅するという実感は今はない。
死と直結した結核を同心円にして作品に接すると、その時代の思いに一歩でも近づくかもしれない。
懐かしい歌曲、「浜辺の歌」の作詞者林古渓には、結核療養した恋人がいたという(ネット上で知る)。また、作曲者の成田為三も、この病の友人を療養所に見舞ったという*。
(*)「唱歌・童謡ものがたり」(読売新聞文化部、岩波現代文庫)に、この歌について次のような一節がある。
「(歌の舞台の)候補地の一つ、(秋田県の)『道川海岸』説をとる岩城町は、同町の結核療養所に友人を見舞った成田が、月見草の咲き乱れる道川海岸を見て曲想を得たと主張する」
美しい旋律の「浜辺の歌」に、今とは違うものを当時の人々は感じていたかもしれない。
「浜辺の歌」
あした浜辺を さまよえば
昔のことぞ しのばるる
風の音よ 雲のさまよ
よする波も かいの色も
ゆうべ浜辺を もとおれば
昔の人ぞ しのばるる
寄する波よ かえす波よ
月の色も 星のかげも
(Youtubeに登録のyasuji4193に感謝)