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2014年4月16日水曜日

イ・ソンヒの思い出(政界進出、安全地帯の作曲)

マネートゥデイの記事「イ・ソンヒ、市会議員挑戦・・・『所属事務所によって出馬』」(4/15、スターニュース:ラ・ヒョジン記者)は、SBS「ヒーリングキャンプ  楽しいじゃないか」(4/14)に出演したイ・ソンヒが、1991年6月20日にソウル市会議員選挙に27才で麻浦地区から出馬(民自党)して当選した当時のいきさつ、および日本進出について次のように語った。

次の初耳がある。
① 市会議員選挙出馬に、彼女の「すでに、所属事務所が相談せずに市会議員候補者に登録を完了した状態だった」ということだ。出馬政党の選挙参謀の思い出によれば、最終的に父親の説得を必要としていた・・・というが。

(本ブログ関連:”市会議員”)

② 当時、「海外進出を目前にして」いて、「日本では安全地帯안전지대が曲を書いたアルバムの作業が完成された時であった」というのは驚きだ。彼女には、1993年5月21日発売の「小型CDに収録の『空がくれたもの』、『見せたいけしき』の2曲(作詞:夏目純、作曲:都志見隆、編曲:萩田光雄)」があるのを知っていたが、安全地帯の曲とは、一体どんなものだったのだろうか。

(本ブログ関連:”イ・ソンヒの過去の日本公演と日本語曲”)

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・歌手イ・ソンヒが27才で突然政界に飛び込んだ理由を公開した。

・イ・ソンヒは、14日午後放送されたSBS「ヒーリングキャンプ  楽しいじゃないか」に出演し、最年少ソウル市議員として活動した過去を思い出させた。

・イ・ソンヒは、「当時、マイケル・ジャクソンの両親がアメリカ進出のラブコールをしたし、日本では安全地帯(안전지대)が曲を書いたアルバムの作業が完成された時であった」として、海外進出を目前にして、市会議員に出馬することになったことを明らかにした。

・イ・ソンヒは、「すでに、所属事務所が相談せずに市会議員候補者に登録を完了した状態だった」として、「市会議員になれば、これまで感じた不条理なものを変えられるという純粋な考えを持っていた」と告白した。

・イ・ソンヒは、「学生時代、(子どもが家庭を支える)少年少女家長の友人が体験する切ないことを社会的イシュー(論点)にしたかった」として、「また、市会議員をやらないといってしまえば、色々な人が大変になる状況だから、『するほかはない』と考えた」と説明した。

・イ・ソンヒは、「市会議員をしながら、生まれて初めて冷たい視線を受けた。社会を知るようになった最も意義ある経験だった」と伝えたりもした。
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