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2013年8月8日木曜日

(資料)Mnet アーティスト・レビュー「イ・ソンヒ」

Mnetのアーティスト・レビューは、イ・ソンヒについて次のような紹介をしている。内容からこの記事の作成時期は、2011年に彼女のニューヨークのカーネギーホール公演(2月3日)直前のようだ。
(来年2014年は、イ・ソンヒのデビュー30周年にあたるのでいろいろと追記されるだろう)

(本ブログ関連:”資料:이선희 Reviewal (仕掛かり中)

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イ・ソンヒは、1984年歌謡界にデビュー、以後立て続けに急成長して人気を享受し、90年代初めまで最も人気ある女性歌手であった。
80年代後半まで、彼女は全盛期には、どんな男性歌手よりも女学生ファンを多く引き連れたし、特に可愛いらしいイメージとボーイッシュなイメージを同時に持つ、彼女の容貌と服装は女性たちの熱狂的な支持を勝ち取った。彼女はまた、小柄に似合わない最高の歌唱力を持つという評価を得る。

1984年
イ・ソンヒは1984年の「江辺歌謡祭」で、イム・ソンギュンと共に「4幕5場」チームで出場、「Jへ」で大賞を受ける。この歌は、歌謡祭以後にも全国的なヒットを記録、イ・ソンヒというスターを誕生させる。男性歌手の人気が事実上歌謡界を牛耳っている頃に、ズボン姿でショートカットのイ・ソンヒは新鮮な風を巻き起こした。 

1985年-1986年
彼女は、1985年「4幕5場」チームが事実上瓦解して単独でデビューする。デビューアルバムは、「Jへ」、「ああ!昔よ」、「葛藤」が収録、大成功を記録する。イ・ソンヒの人気はまさに爆発的だった。 各種歌謡祭とランキング歌番組をさらったし、その人気は2集につながった。
1985年2集には、「秋の風」、「ケンチャナ」などが収録、ヒットし彼女は最高の女歌手の地位を占める。
1986年には、3集が持続的な愛(支持)を受けた。「ヨン」、「分かりたいです」が引き続きヒットし、再び主な賞と順位を占めた。 

1988年、1989年、1990年
イ・ソンヒの音楽に変化が起き始めたのは4集アルバムからだった。「愛が散るこの場所」・「私はいつもあなたを」(1988)、「私の街」・「五月の陽射し」(1989)、「なぜ私だけ」・「思い出のページをめくれば」(1990)に続く4、5、6集は、全て大衆的に良い反応を得たが、以前と同じ程ではなかった。
だが、作曲家ソン・シヒョンに出会い、歌詞とメロディでずっと叙情性を追求し、一層成熟した音楽への意欲を見せる。当時のヒット曲である「愛が散るこの場所」、「ひとしきり笑いで」、「私の街」、「思い出のページをめくれば」などは、そういったスタイルを反映する。
その上、シン・ジュンヒョンの原曲である「美しい山河」は、原曲とはまた違ったすがすがしく軽快な味をプレゼント、国民歌謡と認められていまだに彼女の各種行事でこの曲を熱唱するのを見ることができる。

1990年代-2001年
イ・ソンヒの人気は、90年代に入ってくると、その程度がかなり弱くなる。8集から10集まで、ほとんど2年に一度の割合でアルバム発表しながら、活発なライブ活動も続けるが、ただ一曲のヒット曲がないのは残念な部分である。
イ・ソンヒ個人的には、結婚と離婚が続きながら、難しい時期を送った。だが、着実にライブとミュージカルなどの領域で活動してきた彼女は、2001年には自身の歌手生活を振り返って新しい作業を兼ねた12集「My Life + Best」を発表し、このアルバムにはパク・チニョン、キム・ジョンソのような後輩ミュージシャンが参加した。

2011年
2011年2月3日に世界的な歌手だけが立つことのできるというニューヨークのカーネギーホールの中でも最も大きいメイン公演会場である「アイザック・スターン オーディトリウム」で韓国の大衆歌手では3番目に単独公演を持った。2800席余に達する座席が皆売り切れという大記録を立てて、韓国人で最多観客動員でニューヨークの韓人史のある一線を引くことになった。
国内では2011年5月21日と22日、ソウル世宗文化会館での公演を始め全国巡回公演に出る。
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