ブログ本文&資料

2013年12月23日月曜日

イ・ソンヒのエピソード

以下は、RigVeda Wiki(β)のイ・ソンヒの項に掲載されたエピソードであるが、イ・ソンヒの自伝などで照合しない限り、記述者の主観も混在している可能性がある。(抜粋)

・1991年、民主自由党(民自党)*所属で、ソウル市議会市会議員に当選して活動したりした。しかし、1年3ヶ月目に所属党に失望感を感じたすえ、民自党を離党して民主党**に入党し、野党議員で最後まで活動し、その後、政治とは距離を置いている。後日、「膝打ち道士」***での発言には「ボランティア」に関心があって出馬したことで、歳費も受けなかったという。

(*) 民主自由党: 慶尚道を支持基盤とする保守系政党
(**) 民主党: 全羅道を支持基盤とする進歩系政党
(***) 「膝打ち道士」: ゲストを迎えて進める談笑番組

・イ・ソンヒの父は、仏教音楽の梵唄*の奏者であり、母は父の弟子であった。寺で居住するようにしたので、幼い時のイ・ソンヒは、父が僧侶という誤解と、寺で生きるという冷やかしをたくさん受けねばならなかった。本来この世界で、師匠と弟子の間に異性関係が続くのはダブー視される暗黙的ルールがあったし、婚姻届をするまで迂余曲折が多かったという。それでイ・ソンヒは、幼い時期の両親の職業や名前を何となくおおっぴらに挙げるできなかったし、親戚も対外的に分からない振りをして生きなければならなかったという。このような複雑な家庭事情で、かなり不安定な青少年期を送ったようだ。
・インターネットがなかった時期、口コミでデマが広がった両親世代は、イ・ソンヒの良くない噂をほとんど聞いて知っている方だ。主に家庭の事情で派生したデマだったという。

(*) 梵唄: 仏教音楽の「ぼんばい」(범패)

・90年代半ばに、ミュージックビデオ*撮影中、金属でできた電灯が傾き倒れて(彼女の)頭を直撃したせいで、途方もなく大きな手術をして、全治6週以上の大事故にあった。このために、活動復帰もキャンセルされ、本人にとって最大の暗黒史だ。これを、演芸関連番組で、イ・ソンヒが電灯に頭があたる場面をそのまま放送して、とんでもない非難を聞くことにさえなった。

(*) 本ブログ関連:”イ・ソンヒの「見知らぬ海辺で」”

90年代後半には、従軍慰安婦の老女を称える歌を歌って、歌の題名*にチョセンピ(조센삐:朝鮮女性を卑下する名称)が入ったと、どんな老人となろうと慰安婦の老女を卑下すると言って告訴されたりもした。

(*) 題名:1992年、すなわち90年代初めに、8集収録の「あるおばあちゃんの極楽(어느 할머니의 극락)」があるが・・・朝鮮女(조센삐)は削除されている。(Youtubeに登録のKnightmareに感謝)

以下、ネット情報(「再麦笛雑談」)によれば、
・・・「チョセンピ」の一部の音から悪寒を連想させるという。
・・・告訴の経緯について、告訴を受けた側が納得と合点のいかぬまま対応を急いだようだ。