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2013年7月19日金曜日

イェイツの「宝石を食ふもの」

芥川龍之介訳による、イェイツの「ケルトの薄明(THE CELTIC TWILIGHT)」(William Butler Yeats)の中の3編が青空文庫に掲載されている。原本は、「(全体は約四〇の章からなる)ケルト民族の持つ、精霊や幻想の話を集めた小品、挿話集」とのこと。

青空文庫にある、3編のひとつに「宝石を食ふものthe eaters of precious stones)」がある。白日の夢に見た光景をなぞらえて、ケルト芸術の疲弊を暗喩したのだろうか、美しい宝石を貪るサルの姿に、「美なる物を求め、奇異なる物を追ふ人々が、平和と形状とを失つて、遂には無形と平俗とに堕する事を知つた」。真の美を、俗において我執にはかる限り、それは物欲の対象以外の何物でもなく、跡には底なしの空虚だけが残ることになる。

(本ブログ関連:"薄田泣菫「石を愛するもの」"、"青空文庫”)
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Ⅰ 宝石を食ふもの

平俗な名利の念を離れて、暫く人事の匆忙(そうぼう=忙しさ)を忘れる時、自分は時として目ざめたるまゝの夢を見る事がある。或は模糊たる、影の如き夢を見る。或は歴々として、我足下の大地の如く、個体の面目を備へたる夢を見る。其模糊たると、歴々たるとを問はず、夢は常に其赴くが儘に赴(おもむ)いて、我意力は之に対して殆ど其一劃を変ずるの権能すらも有してゐない。夢は夢自らの意志を持つて居る。そして彼方此方と揺曳(ようえい)して、其意志の命ずるまゝに、われとわが姿を変へるのである。

一日、自分は隠々として、胸壁(きょうへき=盛土)をめぐらした無底の大坑を見た坑は漆々然として暗い。胸壁の上には無数の猿がゐて、掌に盛つた宝石を食つてゐる。宝石は或は緑に、或は紅に輝く猿は飽く事なき饑(き=飢え)を以て、ひたすらに食を貪るのである

自分は、自分がケルト民族の地獄を見たのを知つた。己自身の地獄である。芸術の士の地獄である。自分は又、貪婪(どんらん)止むを知らざる渇望を以て美なる物を求め奇異なる物を追ふ人々が、平和と形状とを失つて、遂には無形と平俗とに堕する事を知つた

自分は又他の人々の地獄をも見た事がある。其一つの中で、ピイタア(Peter)と呼ばるゝ幽界の霊を見た。顔は黒く唇は白い。奇異なる二重の天秤の盤(さら)の上に、見えざる「影」の犯した悪行と、未(いまだ)行はれずして止んだ善行とを量(はか)つてゐるのである。自分には天秤の盤(さら)の上り下りが見えた。けれ共ピイタアの周囲に群つてゐる多くの「影」は遂に見る事が出来なかつた。

自分は其外に又、ありとあらゆる形をした悪魔の群を見た。魚のやうな形をしたのもゐる。蛇のやうな形をしたのもゐる。猿のやうな形をしたのもゐる。犬のやうな形をしたのもゐる。それが皆、自分の地獄にあつたやうな、暗い坑のまはりに坐つてゐる。そして坑の底からさす天空の、月のやうな反射をぢつと眺めてゐるのである。
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