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2013年5月1日水曜日

(資料)歌王チョー・ヨンピルと音楽著作権 ②

著作権問題をチョー・ヨンピルを事例に、デジタルデイリーがつづいて記事「【ICT法を正しく知る】 歌王チョー・ヨンピルと音楽著作権 ②」(4/29、キム·ギョンファン弁護士)を掲載しているので見てみよう。感謝。

チョー・ヨンピルがアーティストとしてまた脚光浴びれば、著作権問題はこじれて難しくなるというジレンマが発生しそう・・・。

(本ブログ関連:"(資料)歌王チョー・ヨンピルと音楽著作権 ①")
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1986年12月31日締結された(印税制を主な内容とする)契約は色々な内容が含まれているが、チョー・ヨンピル側と地球レコードの間の争いの核心であり、10年後の1997年にあった訴訟上の争点になったのは、「チョー・ヨンピルが直接作曲した31曲の複製・配布権の譲渡」だ

・おりしも同日である1986年12月31日、1957年に19世紀末日本の明治時代著作権法を書き写して制定されて以来30年間ただ一度も改正されなかった既存の著作権法が、ベルン条約の影響で新しく改正され、翌年である1987年7月1日施行を控えていた
1957年度の法では著作物に対する複製権・配布権の概念が定立がされず、単に著作物を「複製」して発売、または「配布」という行為をすることができる権利としての「発行権」という内容に含まれていた。このように、当時の法に内包はされているが明示にならなかった著作物に対する複製権・配布権が、チョー・ヨンピルと地球レコードの間の契約書に明記されたのだ。
・一方、1987年の法では複製権・配布権の概念を明らかに定義している。すなわち複製に対しては「印刷・写真・複写・録音・録画その他の方法によって類型物で再び制作すること」と、また、配布に対しては「著作物の原作品または、その複製物を一般公衆に代価を受けたり、受けなくて、譲渡または貸与すること」と独自に規定していた。

・この二種類の法を比較してみると、作詞者・作曲家の権利は比較的変わらなかったが、レコード制作者の権利には多少差があって、すなわち1957年の法では2次的著作者としてレコードの複製・配布権が認められた反面、1987年の法では著作隣接権者の権利としてレコードの複製・配布権が認められた。
・「複製・配布権」ということは、この懸案で二種類で使われることができる。歌(音楽著作物)の複製・配布権と、レコードの複製・配布権がそれだ。電子である歌の複製・配布権は、歌の著作権者、すなわち作詞家・作曲家が持つことで、後者であるレコードの複製・配布権はレコードの権利者、すなわちレコード制作者(著作隣接権者)が持つことだ。ただしレコードの複製・配布権は、必ず歌の著作権者の許諾を受けなければならないという点で限界を有している。

・チョー・ヨンピルと地球レコードの間の紛争で、1986年12月31日の契約が締結される以前には、チョー・ヨンピルが作曲した31曲の著作権は、各歌の作詞者とともに作曲家であるチョー・ヨンピルに帰属するということなので、31曲の複製・配布権は作曲家チョー・ヨンピルが各歌の作詞者とともに持っていた。反面レコードの複製・配布権はチョー・ヨンピルの許諾下に地球レコード社が持っていた。
・だが、1986年12月31日契約が締結された以後には、契約が有効ならば、地球レコード社は31曲自らの複製・配布権を譲り受けたので、歌自らの複製・配布権を持つことになる。

・上の1986年12月31日契約に対して、最近チョー・ヨンピルの所属会社YPCプロダクションはこの契約に対して訴訟が始まった理由を説明しながら「契約当時、『複製・配布権』を渡す行為を録音されたレコードの『版権』を渡すと理解したところで、歌の著作権利まで与えることとは考えることができなかった」と解明している。
・チョー・ヨンピル所属会社YPCプロダクションがいう「版権」という単語は、法的用語ではないが広く使われる用語として一意的に定義することは難しい。ときには著作権という意でも使われたり、ときには出版権という意で使われたりもする。

・色々な状況を推察してみると、チョー・ヨンピル側は「契約締結当時『歌』の複製・配布権を与えると理解しないで、『レコード』の複製・配布権を渡すと理解した」というものと解釈されるところ、チョー・ヨンピル側の「版権」の意味は「レコードの複製・配布権」を意味すると判断される。

・チョー・ヨンピル側の主張の通りすれば、歌の複製・配布権はチョー・ヨンピルが持つことで、レコードの複製・配布権を地球レコードが持つものになる。反対に、地球レコード社の主張の通りすれば、レコードだけでなく歌の複製・配布権も全部地球レコード社が持つものである

・ちなみに、歌に対する権利者は、3つの部分すなわち、①作詞者・作曲者、②演奏者・歌手などの実演者、③レコード制作者に分けられて各協会が組織されていて、現在の基準で見れば、600ウォンのダウンロード音源の一曲に対して、
=その中の40%(240ウォン)を、流通業社が持っていき、
=残りの60%(360ウォン)を、歌に対する権利者すなわち、①作詞者・作曲者:10%(60ウォン)、②演奏者・歌手などの実演者:6%(36ウォン)、③レコード制作者:44%(264ウォン)が分けて持っていくことになる。

・チョー・ヨンピルの主張の通りすれば、現在の基準で600ウォン中、チョー・ヨンピル側は96ウォン(①+②)、地球レコード社は264ウォン(③)を持っていき、地球レコード社の主張の通りすれば、600ウォン中のチョー・ヨンピル側は36ウォン(②)、地球レコード社は324ウォン(①+③)を持っていくことになる。

・契約締結以後、地球レコード社はチョー・ヨンピルから譲り受けた31曲の複製・配布権を根拠に、チョー・ヨンピルの許諾を受ける必要なく、ベストアルバム、オムニバスアルバム、ヒット曲コレクションアルバムなど色々なアルバムを出盤(レコーディング)して、チョー・ヨンピルの熱心なファンの多くの反発をかったりした。

・チョー・ヨンピル側と地球レコードの間に譲渡契約が締結された時から10年が過ぎた1997年1月頃、地球レコードのイム社長は、チョー・ヨンピルを相手に31曲の著作権(複製・配布権)を譲り受けたことの確認を求める内容の著作権譲渡の事実確認など請求訴訟を、ソウル地方裁判所の第12民事部に提起するに至る。(被告には韓国音楽著作権協会も含まれているがこの部分は除く)

言論(メディア)では、チョー・ヨンピルが先に訴訟を提起したことになっているが、実際には地球レコードのイム社長側が先に訴訟を提起した。地球レコードのイム社長側は、チョー・ヨンピルが自身に譲渡した31曲に対する著作権料を受けられなかったという理由で、チョー・ヨンピルを相手にこのような訴訟を提起したのだ。

この事件の争点は、チョー・ヨンピルとイム社長の間に締結された譲渡契約が、チョー・ヨンピル又はその代理人マネジャーのユ某氏の窮迫、軽率、無経験によるもので不公正な法律行為(民法第104条)に該当して無効なのかどうかであり、このような主張はチョー・ヨンピル側が出したことだった。

だが、裁判所はチョー・ヨンピル側の主張を受け入れなかった。訴訟は契約書内容がそのまま受け入れられて、地球レコードのイム社長に31曲に対する複製・配布権があるという内容で、チョー・ヨンピルの敗訴で終わった(事件番号:ソウル地方裁判所第12民事部1998.10.16.宣告97가합178判決)。
・特に第1審判決文によれば、チョー・ヨンピルのマネジャーのユ某氏が譲渡契約を締結したし、以後1987年8月頃チョー・ヨンピルの印鑑証明を添付して地球レコードのイム社長と共同で文化観光部長官(当時は文化公報部長官)に、31曲の歌に関する著作財産権のうち、複製、配布権の譲渡の登録を申請して(同月20)、その譲渡登録手続きを経了(경료:終了)されている、このような事実を推察してみると、普段の他の事案でも裁判所がよく受け入れていない民法第104条の不公正な法律行為抗弁を、この事案だけに特に受け入れてもらうのは難しかったものと見られる。

第1審判決に対して、チョー・ヨンピル側は控訴したが、控訴審やはり敗訴することになる(ソウル高等法院1999.11.30.宣告98나61038判決)。控訴審で、チョー・ヨンピル側は民法第104条の不公正な法律行為として無効の主張の他に、民法第103条の善良な風俗その他社会秩序違反として無効の主張、民法第109条の錯誤による意志表示として取り消しの主張までしたが、裁判所は全部受け入れなかった。

・この訴訟は、再びチョー・ヨンピル側の上告で大法院(=最高裁判所)まで上がる。だが、大法院もやはりチョー・ヨンピルの上告を棄却して原審内容の通り確定した(大法院2000.4.21.宣告99다72989判決、著作権譲渡事実確認など)。
・大法院は、「抗訴法院は、この事件譲渡行為は不公正な法律行為または、善良な風俗その他社会秩序に違反して無効や錯誤による意志表示に該当してこれを取り消すという被告チョー・ヨンピルの抗弁を、判示のような理由で全部排斥したところ、これを記録と対照して調べれば、抗訴法院の上のような事実認定と判断は正しい」と判示した。
・一緒に「控訴審の判断にはこの事件契約の目的物が、楽曲自体でなくそれが録音された録音物(または、録音フィルム)として原告にその録音物に対する排他的使用権が移転されただけという被告チョー・ヨンピルの主張を排斥した趣旨が含まれているということが明らかなので、そこに上告理由の主張と同じ著作権契約の解釈に関する法理誤解や審理未尽または、判断遺脱の違法があるということはできない」と判示した。

・整理すれば、この事件の譲渡契約はレコードに対する複製・配布権の譲渡契約でなく、歌に対する複製・配布権の譲渡契約と解釈する他はなくて、この事件の譲渡契約に無効理由や取り消し理由が存在しなくて有効であるということだ

・チョー・ヨンピル側は大法院まで行って敗訴したこの判決は確定してこれ以上争うことはできない状態になったところ、判決の効力中、既判力()のためにチョー・ヨンピル側がたとえ訴訟を提起しても判決内容が変わらない。したがって、法的な解決方案はないと見ても差し支えない状況だ。

・ただし、双方合意としてチョー・ヨンピルが自身の曲を取り戻しに来る方法は残っている。地球レコードのイム某社長は、2006年に死亡したが、イム某社長の相続人が、現時点で、チョー・ヨンピルの31曲に対してチョー・ヨンピルに自発的に戻す方法がそれだ。

・もちろん無条件無料で戻すことが正しいといった意味ではない。契約当時とその後の具体的な金銭関係は、当事者他には誰も分からない部分なので、当事者が直接心を開いて虚心坦壊な対話をすることによって私たちの時代最高の歌王と一時代の最高のレコード制作者が心より和解して大衆音楽産業の発展に共に寄与するように祈るところだ。
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