朝鮮日報のオピニオン記事「歯ブラシに付録で売る音楽アルバム」(11/9、チェ·スンヒョン大衆文化部放送·音楽チーム長)は、あるコンサート会場で自虐的に歯ブラシの付録としてアルバムが売られたことをもとに、アルバム販売の動向について寄稿したものだ。その中から関心のある部分だけを次に抜粋する。
・("歯ブラシの付録としてアルバム販売"は)たとえ誇張されたイベントだったが、この場面は、韓国大衆音楽市場で存在価値を失っているアルバムの哀れな現実をそっくりそのまま見せてくれたという点で、多くの人に訴える<苦笑>を抱かせた。
・音楽アルバムは、ミュージシャンの人生と世界に対する哲学を集約して見せるという点で最も芸術的な媒体だ。商業的考慮が先んじる歌と音楽のこだわりを込めた歌が共存するため、ミュージシャンの成長と音楽市場の多様化に重要な役割を果たしている。米国・日本・欧州ではまだアルバム市場が巨大に存在する理由だ。しかし、我が国(韓国)の音楽市場は、アルバムを捨ててしまって、すでに久しい。ファンシー商品として企画されたアイドル・グループのアルバムの数種を除けば、1万枚だけ売って「大当たり」という言葉が出てくるのが実情だ。
・その底には各種インターネット音楽サイトの無理な「定額制」がある。月3,000ウォンだけ出せば無制限にストリーミング(リアルタイム・リスニング)サービスを受けることができる環境で、大衆が適正価格を出してアルバムを買って聞いてミュージシャンに対して真剣な関心を持つようになることは難しい。反面、音楽先進国では、インターネットで音楽を聞いても、消費者が適正価格を支払わなければなら環境が整っている。例えばアップルのアイチューンズ・ストアでは、歌は一曲当たり1ドル前後、アルバムは一枚当たり15ドル前後を支払ってダウンロードすることができる。結局問題はシステムである。
(付記)
イ・ソンヒのアルバムを期待したが、来年にお預けのようだ。彼女のアルバム15集が登場して、あらためて国民歌手として多くのひとびとに購入され聴かれることを祈ります。
(本部ログ関連:"韓国のオンライン・オフライン音楽市場規模"、"在韓の英国人が見た韓国音楽")
(別付記)
先日観覧した「考動展」最終日の今日、気に入って頼んだ蕎麦猪口(そばちょこ)を求めて吉祥寺に行く。猪口の表が淡い灰色の直線でデザインされていて、2つ重ね合わせるのが妙味で洒落ている。早速、蕎麦を食うときに使いたいと思う。
同展会場のギャラリーmonoの近く、ビルの地下にある蕎麦屋「砂場」で、「とろろ蕎麦」を食う。冬のような寒さに厚着して出かけたが、やっぱり熱いものはありがたい。芯から温まり、次第に額に汗がにじむ。この店は、日本橋室町の「室町砂場」と縁があるそうだ。以前、荒川の「南千住砂場」に何度か蕎麦を食したことがあるが、そこから分岐した孫筋にあたるのだろう。
・・・蕎麦に絡めて、猪口と食を合わせた次第。