ブログ本文&資料

2012年6月3日日曜日

音楽評論家カンホンの大衆音楽散歩 バラード

国際新聞の記事「音楽評論家カンホンの大衆音楽散歩"35"  冬の特別な音楽の贈り物バラード」(2011-12-06)に、韓国のバラードが歴史的にどのように展開したかを次のように語っている。感謝。
記事タイトルの冬とは違ってこれから夏であるが、「バラード」そのものに着目したいので。

・「バラード(ballad)。 踊るという意味を持つラテン語のballarからきた言葉。中世時代から欧州にかけて知られている、物語(narrative)と劇的台詞(せりふ)および叙情詩の要素の混合した民謡(folk song)の一種。元々はイタリアのバラータのように舞曲(dance-song)の意味だったが、14世紀から物語体の(narative solo song)を一般的に称するようになる... 」

・グローブ音楽辞典のバラードの項はこのように始まって、延々十ページにかけて説明を繰り返す。バラードという言葉が、"踊る"という語源を持っていることが全く興味深い。世界大衆音楽の主流を形成しているバラードという言葉は、西洋の音楽史全体で生成され、発展して形を変えてきた音楽言語である。

・このような永遠の成功の根元を持っているバラードは、20世紀に入り、諸媒体の発展と一緒に、しっかりした影響力を構築した白人大衆音楽の本流となるのは恐らく当然のことだ。さらに、米国の(放送局)NBCとCBSが1926年とその翌年にそれぞれ開局と同時に、そしてそのほぼ同じ時期に無声映画に終止符を打ちつつ登場したミュージカル映画の中のロマンチックなメロディーが大衆の感情を引き付けながら、この、3和音を基本としたAABA形式の32小節の歌*は完璧な全盛時代を開いた。ビング・クロスビー、ペリー・コモ、フランク・シナトラに続くスターたちのパレードは、1950年代に過激な青年の音楽であるロックン・ロールが瞬く間に世界を征服した瞬間にも既成世代の支持に力づけられて没落しないねばっこさを発揮する。

(*補注) 映画「オズの魔法使」(1939年)の「虹の彼方に(Over The Rainbow)」のスロー・バラード

・そして6.25(朝鮮戦争)以降、この地(韓国)にも、米国の大衆音楽が洪水のようにあふれて入ってきたし、既存のトロット(演歌)音楽のバラードが中枢をなすスタンダード・ポップ系の曲が挑戦状を差し出したのは当然のことだ。しかし、初期には**「私一人だけの愛(나 하나의 사랑)」や「青い糸 赤い糸(청실 홍실)」の類の歌でわかるように、3拍子のワルツのリズムに基づいた歌が強勢を見せた。そうするうちに、ロックンロールが上陸する1960、70年代以降から、4拍子のスローテンポがこの場を置き換えた。1980年代に至っては、韓国で最も影響力のある主流の文法になった。1980年代の初頭に雌雄を競って全国を席巻したチョー·ヨンピルの「窓の外の女(창밖의 여자)」***とイ・ヨンの「忘れられた季節(잊혀진 계절)」の大成功が代表的な例になるだろう。

(**補注) ソン・ミンド(송민도)に代表される
(***補注) 本ブログ関連:"1980年代の韓国バラード"

・これらにより火引いたバラードの行進は、1980年代半ばから後半、イ・ムンセとピョン・ジンソプをはじめとする一群のバラード走者たちが、ビッグバン(宇宙の爆発的膨張)に近い爆発力を誇示しながら韓国大衆音楽界を完璧に掌握するが、チョ・ハムン、キム・ヒョンシク、イ・スンチョルなどのバンド出身のボーカリストたちがスポットライトを受けることになった原動力も、まさにこの音楽言語をベースに基づくことだ。 このジャンルの文法が大衆的に定着したことは、同時に、伝統的なトロット様式が支配してきた韓国大衆音楽が西欧大衆音楽の様式に移行するために、最後の句読点を付ける歴史的転換点でもあった。

・よく冬をバラードの季節ともいい、それは不況時に更に強さを見せるともいう。しかし、不思議なことに、ユン・ジョンシン(윤종신)の新譜を除けば、今回の冬(2011年12月)は鮮やかなバラードの新作はあまり見当たらない。まだ本格的に寒くないからか? でなければ、歌で慰められるには昨今の現実が、あまりにもパサパサしているためであろうか? 小さくて素朴な愛の幻想が何も救えないと言っても冬の曲を私は待つ。

(本ブログ関連:"カンホン")