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2011年4月26日火曜日

25年の記憶

25年前の今日、当時ソ連のウクライナにあった原子力発電所の原子炉が炉心溶融して爆発した。爆発の結果、放射性物質が偏西風に運ばれて日本上空にも来たという記憶がある。
それは、ソ連と東欧に及ぶ事故であり、西欧まで巻き込んだ事件としてしか認識しなかった。わが子たちが少年期でありながら、さほどの恐怖感も感じていなかった。あくまで、海の向こうユーラシア大陸の反対側のできごとと理解していたのだ。やがて、悲惨な事実を知ることになるが。

福島の事故は、技術的にウクライナのものと違うと繰り返し説明されるが、市民にとって見えない放射能の恐怖がおさまるわけではない。福島の放射能は、これから積算される。果たして何年かかるのだろう。ウクライナの再現にならないことを祈るばかりだ。
将来、歴史の反省をするときに、当事者は誰もいないかもしれない。だから、事実を検証できるようにするためにも、一切の資料を残し保存する記憶の図書館を作って欲しい。それしか、未来の子どもたちに詫びることができない。