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2011年4月29日金曜日

ちいさな男の子は阿呆である

ちいさな男の子は大方阿呆である。そうであるし、そうでなければならない。人のしないことをするのが男の子である。本人はそんなつもりじゃないけれど。
あっはっはと笑いながら、さて次に何やろうかとたくらむ。こころの中が、いつも青空なんだ。そんな今が、なつかしい思い出を作っている最中だなんて、これっぽっち思っちゃいない。目をきらきらと輝かせ、学校の帰り道に腹ばいになって、路肩のカマキリを見たり、一列になって後ろ向きに歩いてみたり、やることがいっぱいあるのだ。

わたしの昔もそうだったよ。チャンバラで誰がうまく切られるかと熱中したり、小学校の木造の階段を上手に平行に転げ落ちることを競ったりしたものだ。ちいさな男の子は阿呆なことにいつでも向上心が湧いてくる。

書店で梅佳代の写真集「男子」(2007年)を見て、毎日が楽しくてわくわくしていた頃の懐かしさを覚えた。ちいさな男の子なら経験する、平気で転げ廻った地面やアスファルトの感触を。そうそう、ちいさな隙間も好きだったな、自分たちだけの秘密の通路にしていたこともよみがえってきた。
さて、この写真集には作家の次のような言葉があるようだ。適確で温かい。

男子は
ばかで
無敵で
かっこいいです。(うめ)

ところで、阿呆な男の子から卒業していた頃、創刊されて間もない雑誌「太陽」(1964年7月:創刊一周年記念号)に、第1回太陽賞を受賞した写真家荒木経惟の「さっちん」を見た。当時としてはグラフィカルで洒落た大きなサイズの雑誌に、いつでもどこでも走って転んで遊び廻る子どもたちの世界がそのままに載せられていた。写真には、ぼくらの原風景がおさまっていた。モノクロ写真は、どろだらけの子どもにぴったりに思える。色彩がなくても、みな元気な時代だった。
新潮社版の最後に、作家が次のように語っている。

「これは三河島の戦前からあった古い団地アパートなんだけど、(略) 荒川線を途中で降りて、ぶらぶら歩いて撮りだしたの。そこで出会ったのが「さっちん」(当時小学4年生)。」