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2010年6月19日土曜日

シド・ミード

子ども時代に、未来のイメージは、少年雑誌の色刷りページに載った空想画から得ていた。代表的な挿絵画家(当時イラストレーターという言葉は使われていなかった)に小松崎茂(1915年2月14日~2001年12月7日)がいる。彼の絵には、未来を描きながらどことなく太平洋戦争の航空機、戦艦のにおいがすることを子どもながら感じていた。戦後の洋画壇のような高踏な反省を振舞うことはなく、彼は子どものためにだけ絵を描きつづけたひとだった。
以前、荒川区の図書館で彼の作品展が開催され、展示された絵画や資料を観覧した。一つ一つの作品を覚えていたわけではないが、雑誌「少年」に掲載された当時の絵を思い浮かべつつ記憶をたどった。懐かしい絵が目の前にあるように思えて驚いた。

その後、空想画という言葉が使われなくなると、デザイナーによって未来のイメージが語られるようになった。特に、SF映画で未来を見ることが当たり前になった。例えば、映画「2001年宇宙の旅2001: A Space Odyssey)」(1968年)のデザインは、当時の工業デザインの延長上に作られているように見えて、妙にリアリティがあったと記憶する。それは超えられないアメリカそのものだった。

映画「ブレードランナーBlade Runner)」(1982年)は、文化も人類も混沌とした世界を描いているわけで、デザインは自由だったろうけれど合理性を意識しているように感じられた。ただし暗い画質のために控えめに思われた。デザインは、アメリカを超えざる得なくなっていたのかも知れない。この映画で工業デザイナーとして指導をしたのは、シド・ミード(Syd Mead)である。

(本ブログ関連:”ブレードランナー”)

彼のデザイン画集「センチネル(Sentinel)」(1979年)は、映画「ブレードランナー」が話題になった後になって、洋書店に並んでいた。今にも利用できそうな未来の室内、自動車だけでなく、遊び場所までが違和感なく描かれていた。当たり前だが、真面目な明るい工業デザイン集だった。彼が映画「ブレードランナー」に関わったのは、この画集の出版の後である。

(Youtubeに登録のchuter、theevilmrravenに感謝)