ブログ本文&資料

2009年11月5日木曜日

メールストロムの施渦(せんか)

先日の、八丈島沖・漁船転覆事故から、奇跡の生還をされた方々を見て、生き抜いた意志の強さに驚くばかりだ。転覆漁船の暗闇のなかで、長時間の恐怖に耐え抜いた体験は察するにあまりある。そしてニュースで見た、ご家族との特にちいさな娘さんたちの出迎えを受けられたときの光景は忘れられない。(参考:「毎日jp」の生還記事)

ところで、昔、父の書棚に子ども達に見せてくれたことのない絵本があった。ときどき、だまってのぞいたが、結局行方を知らない絵本である。A4版ぐらいのサイズの薄い本だった。紙質のよくない頁は、のっぺりと黒地に塗られており、白のシンプルな線で物語が描かれていたような気がする。頁一面の暗黒の巨大な渦のなかに船が引き込まれていく不気味なページがあった。圧倒的な黒色の迫力を今も思い出される。

勝手な解釈だが、あの絵本はエドガー・アラン・ポーの「メールストロムの施渦(A Descent into the Maelstrom)」(1841)ではなかったろうかと思い、「青空文庫」にある「メールストロムの施渦」(佐々木直次郎訳)を読みなおしてみた。主人公は、巨大な渦に飲み込まれながら、渦の内側の光景を次のように描写している。

「自分のまわりを眺めたときのあの、畏懼(いく)と、恐怖と、嘆美との感じを、私は決して忘れることはありますまい。船は円周の広々とした、深さも巨大な、漏斗(じょうご)の内側の表面に、まるで魔法にでもかかったように、なかほどにかかっているように見え、その漏斗のまったくなめらかな面は、眼が眩(くら)むほどぐるぐるまわっていなかったなら、そしてまた、満月の光を反射して閃くもの凄(すご)い輝きを発していなかったら、黒檀(こくたん)とも見まがうほどでした。そして月の光は、さっきお話ししました雲のあいだの円い切れ目から、黒い水の壁に沿うて漲(みなぎ)りあふれる金色(こんじき)の輝きとなって流れ出し、ずっと下の深淵のいちばん深い奥底までも射(さ)しているのです。」

主人公が助かった方法が妥当か、恐怖からの生還に髪が白髪になることがあるかはこの際除外して、以上の描写を読んで、あらためて、あの絵本は「メールストロムの施渦」を題材にしたものだと信じている。